アルフレッド・ヒッチコック ロープ DVD
1948年作品 アメリカ
監督ヒッチコック
ジェームズ・スチュワート、ジョン・ドール、ファーリー・グレンジャー
あらすじ:共通の友人デイヴィッドを殺し完全犯罪を目論む、ブランドンとフィリップ。
犯罪が起きたのは犯人の1人ブランドンの住むマンションの1室。
そこでロープで首を絞めて殺し、大きなチェストの中に死体を隠した。
だが、その殺しに意味などなかった。
2人は、選ばれた人間は、自分達より劣る人間を殺してもいい、と思っていた。
その日は、その部屋でデイビッドが街を出る送別パーティが行われる予定だった。
招待客もデイビッドにちなんだ人間が多かったが、まさかそこにデイビッドが眠るとは知らずにチェストの上にはパーティの食事が並べられる。
2人は、完全犯罪にする自信をさらに感じる為に、あえてその現場に知人を招いていたのだった。
そしてなかなか姿を現さないデイビッドを心配しながらも、パーティーは進行する。
だが、パーティの前にチェストからロープがはみ出しているのに気付く。
気が気ではなく、元から気弱だったフィリップは焦り、どんどん自分を追い込んでいく。
反面、いわれのない自信を持つブランドンは、挑発的な会話をも楽しむ。
大抵が主人公が現れず退屈だと言い始める中、客の1人、ルパートだけが何かがおかしいと気づく。
帰り際に渡されたハットが自分のものでなく、デイビッドのものだったことから、疑いは確信に変わる。
そして、一度は帰ったものの再び忘れ物をしたという口実で戻ってくる。
死体を探すルパートをブランドンは銃で殺そうとするが、ルパートは死体を見つけ、ブランドンの銃を使って銃声で、警官を呼ぶ。
結局、完全犯罪にはならなかった。
おしまい
かんそう:
本作も、
過去記事) 完全犯罪クラブ
同様、レオポルドとローブの事件がベースとなっています。
なので、ブランドンとフィリップの間には、少しゲイちっくな雰囲気が感じられます。それも当時は、斬新だったのではないかと思いますが、撮影法にもこだわりが。
まず、ほぼマンションの1室だけで、完結している事。
それも、シットコムのような舞台セット風で、窓の外は味のある書割。
この見慣れた風景が、逆に古さを感じさせていませんでした。
そして長回しのワンカットで撮る事にもこだわっていたようですが、この時代のフィルム? の限界があったようで、実際はフィルム・チェンジを挟む為、そう見せるような工夫をしていたようです。
こちらは、素人なので特に気づいたり、気になったりはしませんでした。
見る前は、実際の事件が元になっているなんてもちろん知りませんし、見ていてもその事件を知らないので「あ、あれだ」なんて思いませんでしたので、正直、動機がナゾ過ぎてちょっと作品との距離感がありました。
言い換えると、作品を見ているだけだとアホな私にはすんなり理解は出来なかったんですね。
タイトルがロープで、そのロープでいきなり友人を殺してしまうんですが、どうなるんだろう、というフックはありました。
何せその日はその部屋でパーティーを予定してますしね。
でも、普通の発想であれば「なんでわざわざそんなバレやすい状況でやる?」と普通の疑問が浮かんで、これが終始見ている間に邪魔してくるんです。
所詮凡人には、想像もつかないんですよ。
ヘンな人の考える事はw
ただ、送別会という事なので、もう行っちゃった体にして誤魔化せるのかなーと思ったり。
ところが、むしろ死体がある中でパーティーをしている事が狙いのようで、益々ちんぷんかんぷん。
チェストからロープがはみ出てるって気づいた時のドキドキがピークでした。
でも、今改めて思うと、このドラマはいかにして完全犯罪になるか、ではなく、こんなアブナイ発想をする人間がいる、というドラマなんですよね。
でもそれに気づけなかった私は、このブランドンこそが、完全犯罪を自ら崩しているように見えて、なんだかなー、でした。
もう、「完全犯罪を思いついた僕すごいでしょー」って言いたくてたまらない感じ。
黙っていたらルパートも気づかなかったのかもしれないのに。
とにかく、自分以外の人間を見下していて、殺しても許されると思ってるくらいなんですけど、それすらも黙っていられないのだから、結局ダメじゃん、みたいなw
なので、だんだんこのうざさがコメディにも見えてきました。
その上で、気分の悪さも感じるんですよね。
はなっからのコメディはないだけに。
実際、被害者の父親に殺害に使った紐で本を括って渡したり。
悪趣味です。
だから、パーティで被害者の親とブランドンが喧嘩をするシーンは、この映画の良心なのかな、と思いました。
ブランドンのあまりにも上から目線の発言に対して。
そこに救われました。