2016年7月19日火曜日

スイミング・プール



スイミングプール DVD レンタル版 中古 リユース

2003年作品

シャーロット・ランプリング、 リュディヴィーヌ・サニエ


あらすじ:女性推理作家が執筆の為に籠った別荘で、ある1人の少女と出会うが・・・。




女優って大変だな。

【おはなし】

サラ(ランプリング)は、推理作家という職業に相応しく、あまり女性的とは言えなかった。
電車でファンに話しかけられても、そっけなく別人だと言い張り、1人でバーに立ち寄り明るいうちからウォッカを頼む。

呼ばれたわけでもないのに出版社におしかけ、社長に会いに行くと、そこには新人がいて、あからさまに愛想のない態度を見せる。

そして、新作の執筆が遅れている事がわかるが、社長には「たまには違うものでも書いたら」と言われ、気分を変える為に別荘に缶詰になるよう提案される。

娘がいるから自身は行くとしても週末だ、と言って。


閑静な田舎のプール付きの別荘。思ったより悪くなく、すぐに、執筆に取り掛かかった事を社長に電話報告する。

すると、社長の娘のジュリーが別荘にやってくる。

まだ若くイケイケなジュリーは、お堅い中年女性の推理作家と気が合うとは思えなかったが、お互い干渉しないように、と滞在する。

だが、ジュリーは枯葉が浮いたままの汚いプールを裸で泳いだり、夜な夜な男を連れて帰ったりと、自由奔放。

サラは、そんなジュリーを邪魔に思いつつも、興味を持っていく。

ある日、ジュリーが、サラのいきつけのカフェの店員フランクを連れて帰ってくる。

サラも気に入っていた事から、複雑な気持ちになるが、フランク自身もサラの存在が気になるようで、何もせずに帰ろうとする。

サラは、そんな二人の雰囲気を察し、先に寝ると告げるが、2人が夜のプールでいちゃつくところを、部屋の窓から覗き見し、さらにベランダの石をプール投げて邪魔をしてしまう。

その後は、耳栓をして眠りについたが、翌朝起きると、プールには、最初に到着した日のようにシートがかぶせられていた。

しかも、不自然に膨らんだ部分があり、気になってシートを回収する。

だが、それは仕舞い忘れたビーチマットだった。

気になったサラは、フランクのカフェに行くが、カフェは開いていなかった。

フランクが来ていない、というのだった。

別荘に戻ると、ジュリーは何もなかったようにプールで泳いでいる。

良く見ると、プールサイドには血痕が。

それを責めるとジュリーは自分のだと言うが、明らかにおかしい。

それはフランクのものだった。

ジュリーは、自分がフランクを殺した事をサラに告白する。

それはサラの執筆の為にやったのだという。

そこから2人で完全犯罪にする為、死体を片づける。

一段落すると、ジュリーは友達の店の手伝いをする、と別荘を出ていく。

それがいい、とサラも賛成して送り出すが、別荘には、ジュリーの置き土産があった。

過去に、ジュリーの母親が執筆したが父(出版社の社長)に認めらなかった原稿。

すでに遺品となっているので、もしよかったら使ってほしい。というメモつきで。


数日後、サラは執筆を終え、別荘を後にし、出版社に来ていた。

原稿の出来を社長に尋ねる為に。

だが、反応は良くなかった。

社長はあくまでもサラの推理物のシリーズを望んでいたが、サラが出したのは、繊細で抽象的な作品だったのだ。

でも、サラは笑って「想像通りの反応」と驚かない。

そして、「わかっていたから、もう自分で手配したの」と他社で製本された「スイミング・プール」を社長にサインつきで渡した。

サラのキャリアが新しく始まるようだった。

帰り際、1人の地味な少女とすれ違う。

サラは思う事があるみたいだが、少女の方はサラの事はまったく気にしていなかった。

それは社長の娘、ジュリアだった。


別荘でプールサイドに向かって手を振るサラ。

それに応えるのは、今すれ違ったジュリアから、サラの良く知るジュリーに変わる。


おしまい。

【かんそう】

以前、見ているのですが、おフランス映画という事で「よくわからない」で終っていました。

先日、TVで放送していたので、どんなんだっけ? 感覚と「ミステリー」のふれこみで、「あれ? そんな話だっけ?」と思って再見。


ミステリーちっくではあるけど、ミステリーではないですねw
1人の中年女性作家の執筆過程ドラマ?

やっぱり、よくわかりませんでしたw

でも、最初に見た時よりは、経験値も上がって、歳も重ねたせいか、「こういう映画かな」という感じはつかめたような気がしました。

多分、初回は「ミステリー」寄りで見ていたんだと思います。
だから、そういう映画ではなかったからほとんど記憶にもなく、よくわかんない、乱暴に言うとつまんない、になっていたのかな、と。

正解はあるのかないのかもわかりませんが、そもそも正解を狙う作品でもないんでしょうね。

正解を狙いたい派の私としては、そこももやっとしたままなのが、気持ち悪くもあるんですけど。

まあ、おフランス映画にしたら、見やすかったような気もします。


とにかく、ややこしいのは、サラが推理作家であるという事。

最初は、社長の「娘がいる」でジュリーの存在は疑っていませんでした。

そしてちょこちょこジュリーとサラのやりとりを見てて、違和感を覚える事もあったんですが、映画のノリが良くわからないので、気にしなくていいや、とスルー。

後半、急に殺人が起きた当たり、しかも理由は「サラの執筆の為」というなんじゃそれ? な理由で「おかしいぞ」と。

そして最後の最後。

執筆を終えて、生まれ変わって清々しくなったサラが本物の社長の娘、ジュリアとすれ違ってわかります。

「あ、これ全部書いていた小説の話なの?」

なので、いわゆる、「わかって最初から見たら面白いかも」系のお話しなんですね。

もちろん、殺人なんて起きていない。

あんな雑な殺人、すぐ見つかるだろうしねw

でも、大抵そういう作品ってわかった時点でそこそこ満足しちゃうので、見直すまでには至らないんですけどw

この作品も、あえて見直す事はしていません。


というのも、こういった面白い部分がわかったとしても、それを構成する要素として、女性の年齢の残酷さがあるので、確実にジュリーとサラならサラの方が歳近いじゃんっていう私には、サラは現実を見せられているようできついんです><

ジュリーよりの方なら、未来の不安なんてないでしょうから、楽しめるのかもしれない。

サラには仕事としての壁もあれば、女性としての壁も感じているんですよね。

ジュリーのような青春? も送っていないし、今も愛に満ちているとはいえない。

別荘にサラを訪ねてくる人も、誰も来ない。

おそらく、作家の性というか、社長の言った娘というキーワードからサラが生み出した、そしてサラが憧れる女性としての魅力あるジュリー。

だから、反発から始まりつつも、妄想の中で? 最後は仲良くなっています。

ジュリーが錯乱して、サラを母親と間違えるシーンもあったけど、サラはジュリーをなりたかった自分でもあり、娘がいたらこうだったかも、といういろんな役割を与えていたのかもしれません。

どこからどこまでがサラの創作でどれが現実なのか、は1回見ただけでは良くわかりません。

妄想にしても、クリアに描いているので、全部リアルだと感じる方もいると思います。

繰り返しになりますが、れっきとした正解はないのだから、思うままでいいんだと思いますが。

だって、私は「別荘」も妄想だと思ってますからw

普通に考えれば、別荘に行ったのはリアルだと思うんですが、最後に娘とすれ違った時の感じなどから、「ボクの別荘を使いなさい」自体も、サラの妄想だったのかも・・・と。
(行くなら週末、というのももちろんサラの妄想。社長とはもともと何もない)(20年来の知り合いで、深い関係があるなら、ジュリアの顔くらい最初から知っていそう)

いわゆるお手伝いさんもいない(管理人はいたけど、ジュリーとの絡みなど考えるとこれも妄想)、行っていいよで鍵渡して案内もなしで、みたいな感じがやっぱり違和感。
特に最後、出来上がった原稿を見せるシーン。

仮にも、自分の別荘に滞在させていた小説家ならもう少し「どうだった?」とかのやりとりシーンがあってもいいような気がしたんですよね。
バッサリないのは、そもそもそんな事実がない、ということなんじゃないだろうか、と。

それと、冒頭では、社長の方から「たまには違うものを書いてみたらどうか」と言っているのに対して、「シリーズじゃないのか」だし。

おそらく「たまには違うものを・・・」がすでに妄想だったんじゃないのかな、と。


やっぱり、「父と同居、うんざり」「あー、誰か別荘でも招待してくれないかしら」
「そうだ、妄想すればいいじゃん!」

まさに、小説家。

みたいな感じなのかな・・・と。

プールの様子が適当なのも、存在自体が妄想だとしたら、納得できるし。

ジュリーがサラの気になるフランクを殺したんじゃないか、という事で急に探偵のようにアクティブに街を捜索するんですけど、それがバイク? に乗ってるのも違和感だったんですよね。

え、こんなアクティブな人なの?

と。

サラの書いた「スイミング・プール」の内容がどんなものかは知りませんが、作家としてのサラなのか、登場人物のサラなのか・・・。

なんか、管理人さんの娘さんという人も明らかにキャラクターっぽくって(妻と間違った小さな老女、だが娘だという)ここも「現実ではない」というヒントのように感じました。


更に疑ってしまうと、最後の出版された「スイミング・プール」。
これこそ妄想なのかもしれません。

シリーズ物を期待され、自身はもう「殺人なんてまっぴら」とうんざりしている。

明らかにスランプ状態。

でも、女性としての恋愛妄想をするのではなく、小説家としての妄想をしている辺りが、リアルな感じ?

突然、作風変えて書いた作品が、認められちゃって出版できたらいいなー。
それで、社長をぎゃふんと言わせられたらいいなー。

てな感じで。


とにかく、サラがなんか悲しい人なんですよね。

映画の中のキャラとしては浮ついた所がなくて、変にリアリティがある。

反面、ジュリーはまさに創作物のキャラクターそのものな感じ。

だからこそか、全部妄想に感じられてしまう。

どちらも女優さんが演じている訳ですが、サラは名女優ですが、明らかに若さは失っている役で、ジュリーも今はピチピチですが、いずれ全員平等に歳を取ります。

女優ほど、年齢をつきつけられる仕事はないですよね。

この映画を見て、若者が「若さ、いえーい」ってなるのは、正しいんだな、と思いました。
だって、それは人生の一瞬なんですもんね。

今は特にSNS時代だから、あっという間にそれが過去である事がわかると思います。
ジュリーのような時代は怖い物なし、でも仕方ない。

あとはずーっと何かにおびえて生きるだけですもん。


こういう何が現実との境目みたいな作品は、テーマがもう少し明るかったら面白く感じられると思うんですけど、同じ女性で、しかも仕事や年齢の重みを感じるものだったので、面白さよりもテンションが下がるお話しでした><

そして、以前見た時は、少なくとも、こんなことは感じなかったので、時間は残酷です。

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