2016年5月20日金曜日

サイン



サイン DVD

2002年作品

監督M・ナイト・シャマラン

メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ローリー・カルキン、アビゲイル・ブレスリン、M・ナイト・シャマラン


あらすじ:ある朝、家の前にミステリー・サークルが出来ていた。
それは世界中に現れていたようで・・・。



この映画で、「がっかりシャマラン」という言葉が生まれました。


【あらすじ】

元牧師一家の住む家。
事故で母親を失って以来、3人と父グラハムの弟メリルと暮らしていた。

朝起きると、畑にミステリーサークルが出来ている。

ペットの犬は突然凶暴になり子供たちを威嚇する。

神経質な妹ボーは相変わらず「この水は汚染されている」と言っている。

ミステリーサークルをいたずらだと思ったグラハムは、婦人警官キャロラインを呼んで調査を頼み、獣医レイから動物が獰猛になっていると言われた事を世間話する。

その頃、ペットの犬は妹に襲い掛かっていた為、ぜんそく持ちの兄モーガンが殺して妹を助けていた。
念の為もう1匹は外につないでおく。

その夜、妹が起き出し、外にモンスターがいるから綺麗な水をくれ、とグラハムを起こす。

その際に、近くの屋根に人影を見る。

弟を起こし、街のいたずら2人組だと思って、脅かし追い払おうとした。
ミステリーサークルも彼らの仕業だと考えていた。

ところが、あまりの迅速な反応に人間技とは思えなくなっていた。

翌朝、再度キャロラインを呼んで昨夜の話をするが、何せ良くわからないので話が進まない。

家の中は、ボーが飲まずにおいてある水入りのグラスだらけになっていた。

話しの途中、ボーがTVのチャンネルが変わらない、という。

どのチャンネルもミステリー・サークルのニュースを流しており、世界中に現れていたのだった。

地球外生物がやってきたのだろうか? と話題になっていた。

キャロラインは、気晴らしでもして子供たちを怖がらせないで、とアドバイスして帰る。


素直に、車で出かけるが、ラジオをつけてもミステリーサークルの話題ばかりだった。

モーガンは本屋で、地球外生物の本を買う。

グラハムはドラッグストアで、モーガンのぜんそくの薬を買うが、店員が元牧師であるグラハムに、懺悔したい、と言ってくる。
世界の終りだから怖い、という。

メリルは、軍隊の入隊パンフレットをもらいにいくが、そこで「今は敵が偵察している時期だ」と聞く。

そして元メジャーリーガーだと気づかれるが、実はホームラン記録と同じ位、三振の記録もあり、辞めていた事がわかる。
バッドを振らないと申し訳ない、のだという。

それぞれが用事を済ませ、ピザ屋で合流すると、店の前で1人の男(シャマラン)に気が付く。
ボーに「だれ?」と言われるが、誰も答えない。
実は、グラハムの死んだ妻の事故の相手のレイだった。

家に戻ると、トランシーバー替わりにモーガンが持っていたベビー・モニターからノイズが聞こえる。

ところが車を降りた途端、ノイズが大きくなり、声が聞こえた、と子供たちが騒ぎ出す。

その夜、外につないでおいた犬が吠えだす。

懐中電灯を持って、畑を調べるグラハム。

そしてミステリーサークルに行き着き、大声を出して(誰かのいたずらだと思い)威嚇して戻る途中、ノイズと人影に気づく。

ちらりと見えた足は、人間の身体ではなかった。


そして、UFOが世界中で目撃される。

物々しい雰囲気の中、メリルはグラハムに昔みたいに元気づけてくれ、と言う。


「人は1つのグループに分かれる。
幸運な体験をした時に1つ目は、幸運や偶然よりそれ以上のもの、サインだと考える。
誰かが何かが、見守ってくれている証拠だと思う。

もう1つは、ただの運だと考える。
その人達は、UFOを疑いの目で見ているだろう。
彼らには5分5分の状況。まだ良いのか悪いのかわからない。
内心頼れるのは自分だけだと感じている。
だから恐怖でいっぱいだ。

多くの人は、前者で、UFOを見て奇跡だと思っている。
内心、どんな事が起きても、誰かが救ってくれると感じている。
だから、希望に満ちている。

自分はどちらか問いかけるんだ。
サインや奇跡を信じるのか、運がいいだけだと思うのか。

言い方を変えると、この世に偶然は存在しないのか?」


メリルは、過去の思い出から、「奇跡」だと思った話をする。

そしてグラハムにどっちだ? と聞く。

グラハムは死に際の妻の言葉が「見て」と「フルスイングして」だったと話す。

それは、ただの偶然で、多分メリルの試合風景が浮かんだんだろう。
そして、

「誰も見守ってなどいないんだよ。
自分しかいない。」

と後者である事を告げる。


<妻の事故の回想シーン>

居眠り運転レイ(シャマラン)のせいで事故を起こした事がわかる。



学校は休校になり、子供たちは、エイリアンに思考を読まれない為に、頭にアルミホイルのキャップを作って被っている。

親子3人で、本屋で買ったエイリアンの本を見ていると、襲われている家がそっくりだった。
しかも家の前には大人1人と子供2人の倒れているシルエットがあった。

そこにレイから、電話がかかってくるが、会話をしないまま切れてしまったので、グラハム1人でレイの家に向かう。

すると車に乗っているレイを見つける。

レイはお腹から出血していた。

この半年電話を掛けそびれていたが、あれが家にいる事に気づき、思いついたのがグラハムの電話番号だという。

事故の件を詫び始めるのだった。

決して居眠り運転などしたことなかった事から宿命のようだ、と言う。

レイは、あれは水を嫌っているといい、湖の近くに逃げる準備をしていた。

グラハムに信仰を捨てさせた事を詫びる。

貯蔵庫に1匹閉じ込めたといい、車を走らせた。


次々に世間に姿を現していくエイリアン。

その姿は裸の人間に緑のコケが生えたようなものだった。


グラハムはレイの家に行き、貯蔵庫の中が気になり、包丁の反射を利用してみようとする。
ドアの隙間から出てきた緑色の指に驚き、包丁で切り落としてしまう。


家に戻ると、メリルまでもがアルミのキャップを被っていた。

グラハムは指を切り落としてしまった事から、敵意を感じたらどうするのか、とモーガンに聞く。
本には、敵意を感じたら侵略する、と書いてあると言われる。

負けた場合は、何百年後かにまた来る。

そうじゃなければ勝っている。

グラハムはレイの家に1匹いたことを告げ、4人で生き抜く事を決意する。

増えるUFO。

家の守りを固めつつ、最後の晩餐をするが、親子喧嘩をしてしまう。

この場に及んで祈りをしない父に、母親の死で父を責める息子。
険悪なムードの中、せっかくの食事に誰も手を付けないが、最後には4人で抱き合って泣く。

そこにベビー・モニターが反応する。

TVをつけると、放送が出来ないようだった。

再び家の守りを強化する。

庭の犬が吠えるが、悲鳴と共に静かになる。

明らかに家の周辺で物音がし、いよいよ侵入が始まる。

4人は、地下室に隠れる。

うっかり電球を割ってしまい、暗闇になる。

モーガンは通気口? から出てきた宇宙人の手に触られ、ショックでぜんそくを悪化させてしまう。

モーガンを元気づけるグラハムの姿にボーは「夢で見た」という。


<事故の回想>

まだ意識はあるが、普通なら死んでいるはずと、キャロラインに言われるグラハム。
最後の会話をして欲しいと。


グラハムが目を覚ますと、
ラジオでは侵略ではなく、食糧調達しに来たといっている。
毒をかけて連れて行こうとしているらしいが、すでに怪我したものを残して、引き揚げが始まってもいるという。
弱点をつかれたのではないか。

弱点は誰にだってある、とメリルが言う。

そして、理想の兄が自分を見失う事に耐えられない、とも。
弱気にならない事を誓う。

反応しないベビーモニターを頼りに地下室から出る。

具合が悪いままのモーガンの為に、注射器を用意させ、自分はテレビを移動させると、
家の中にまだ1匹いたのだった。

そいつはグラハムが部屋を出た隙に、モーガンを抱きかかえていた。

そして指がなかったことから、グラハムがレイの家で会ったエイリアンだとわかる。

モーガンに毒を飲ませようとしていると、また事故の夜を想い出す。


夜の散歩が好きだが、運命なんだ、という妻。

モーガンに遊んで、羽目を外して、
ボーには兄の言う事を聞けと、
グラハムには、見て、
メリルにはフルスイングして、

と最後の言葉を思い出す。

そして自分はどちらか問いかけろとメリルに言った、自分の発言も想い出す。

「見て」で部屋を見回すと、壁にはメリルのホームラン・バットが。

そしてメリルに「フルスイングしろ」と言う。

エイリアンは、モーガンに毒を吹きかけるが、メリルのフルスイングに当たり、モーガンを落としてしまう。

そして倒れた拍子に、部屋に置きっぱなしになっていたコップが倒れ、エイリアンに水がかかると皮膚が焼け爛れる事がわかる。

メリルは、コップにフルスイングして、エイリアンに水をかける。

一方、モーガンを外に連れ出したグラハムは、発作のおかげで毒を吸っていないと確信していた。
運ではない、この為に気道が塞がっていたのだ、と。

そしてモーガンが目を覚ます。

発作の為、エイリアンの事はあまり覚えていないようだった。


その後、グラハムは牧師に戻った。

家には子供たちの笑い声が響いていた。

おしまい。

【かんそう】

映画の性質上もありつつ、あらすじが、あらすじではなく、箇条書きになってしまった・・・。

でもこれで2度と見なくてもいい、と区切りがつくので、頑張りました。

初見は劇場でした。
「シックスセンス」「アンブレイカブル」に続き、期待をしない訳がありませんでした。

が、私には、タイトルと冒頭のミステリー・サークル出現という、出だしのフックの良さから、緑のコケ宇宙人の登場のがっかり感の高低差が激しすぎました。

以来、監督作品を劇場で見る事はなくなったという因縁? の作品でもあります。

でも、あれからうん年。

デビル(過去記事)



でも同じような事書いていますが、私の方こそ勝手にシャマランはこうだ、と思い込み、誤解をしていたんだ、という事がわかりました。

そして今、シャマラン節をなんとなく理解できたように自覚してから、この作品を見返しました。



まず、がっかりシャマランである事は間違いありませんでした。
あくまで、私個人の評価ですけどね。

でも、多分、シャマランを理解しているシャマランファンにとっては、これぞ、シャマランなんだろうなー、とも思いました。

まず、シリアスな中にも笑いがある。

これ自体は私も嫌いじゃないです。

特に、子供が「思考を読まれたくない」とキスチョコの包み状態のアルミホイルのキャップを被っている絵が、すごく可愛くて、緊張の中ホッとします。
さらに、天丼で、ホアキンまで被るw

セオリー通りがうれしいコミカルさでした。

役者もいいんですよね。メルギブにホアキン。子役も可愛い。

そして、結構重要な役に自分が出ちゃうところも、ファンとしては面白いんでしょうね。
私は、笑うべきか、それとも、別のメッセージがあるのか、つかめなくてこれにはハテナマークのままです。


サイン、というテーマ自体は、面白いと思います。
だからこそ、期待してしまったわけですが。

あんなに長く書いたあらすじですが、一言でいえば、「気が付けば、意味がないと思っていた事はすべてサインで、意味があった」「それを信じたおかげで、家族を宇宙人から守る事が出来た」

というお話しでした。

宇宙人・・・を持ってきたところが、シャマランならではのシャレ? もあったんだとは思いますが、それが、せっかくの良いテーマの説得力を薄くしてしまったように、私は思ったんです。

これは何度見ても変わらない、と思いました。

あと、サインそのものも、何気にあっさりしていて、それに「妻の死」が含まれるのも、その言葉が死ぬ間際の言葉であることも、なんだかなー、と微妙です。

同時に、グラハム自身の物語でもあり、妻を失った事で大げさに言うと、人生を捨てていたような感じなんですよね。

それが、二度と奪われるものか、と家族の主として覚醒し、家族を守り抜いた事と、サインの存在に助けられた事から、再び、積極的に生きる事を選ぶ。

わからなくはないんですけど、そんな事より「宇宙人いなくなった。やたー」だけで終らないでしょ。みたいな。

またいつ来るかわからない、という恐怖とかないの? みたいな。

実は、そもそも「奇跡」と「運」の話もよくわかっていません。

運と奇跡ってほぼ同じような認識をしていました。

運がいいから奇跡が起きた。

サインを感じられて、運が良かったラッキー、みたいな。

ちなみに、私はそんな風に考えているくらいなので、サインも奇跡も運も信じています。

ただ、どれも物事の後付けではありますよね。

運が良かった、あれはサインだったんだ、これは奇跡だ。

本作は、

・妻が事故で死ぬ際に残した言葉「見て」「フルスイング」
・ボーが水に対して神経質だった事。(家中に水の入ったコップが置きっぱなし)
・メリルがホームラン・バッターだった。
・モーガンがぜんそくだった。(おかげで毒が回らなかった)

が主な、奇跡とサインになります。

そう、意外と少ないんですよ。
これを軸に小出しに話が進むので、そこもわかりにくい、というか、がっかりにはつながっているんですよね。

本屋の本は、やりすぎ感はありました。
襲われている家がそっくり、とか。
それにあの本では家族は死んでいるので、サインと言えるのかどうか。

妻を事故死させたレイの存在や、レイの家にいたエイリアンは、枝葉な感じがします。

一応、レイと会う事で「水が苦手らしい」という情報を得ますが、それは家族に否定されて終わります。

レイの家にいたエイリアンは、指を切ってしまったせい? で居残りエイリアンとなり、グラハムの家で再会します。

こう改めて整理すると、レイは、グラハムの人生を邪魔する存在・・・と言えますね。

まず、レイがいなければ、妻は事故死していないし、レイに呼び出されていなければ、エイリアンの指を切ることもなかったから、ひょっとしたら居残りエイリアンに襲われる事もなかったかも。

水情報は、レイに聞いていなくても、その後発見する事は出来た。

という訳で、この映画のサインは監督が役者として出ちゃっている事にあったのかもしれません。

監督こそ、余計な存在・・・?

あとやっぱり、妻の死ぬ間際の言葉・・・でしかも、その時には意味がなかった、というのが、無理やり感が消えないんですね。

そこでは、何でも言わせる事が出来ちゃいますからね。

まあ、他もピタゴラ的につなげる為の無理やり感はなくはないんですが、綺麗につながっているとやっぱり「おお」となりますよね。

なので、改めて見ると、「惜しい感」は浮上してはきました。

そして、惜しいという感情が沸いた分、やっぱり「がっかりシャマラン」という言葉を思い浮かべてしまいます。

じゃあ、何を望んでいるのか、という具体的な事はもちろん言えないのですけど、(言えたらすごいシナリオ作れる人になっちゃう)何かもっと驚かせてくれるんじゃないか、というなんだかんだ、期待をしてしまえる監督さんなんですよね。

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