2015年12月22日火曜日

コントロール(ジョイ・ディヴィジョンじゃないやつ)


2004年作品
ウィレム・デフォー、レイ・リオッタ
同タイトルで「ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティス伝記」もあるのでご注意。

あらすじ:死刑囚の凶悪犯の死刑執行の日。ところが、死んだはずの凶悪犯は生かされていた。
だが、このまま生きていたかったらある薬品の実験に協力しろ、という条件があって・・・。




一人デフォー祭りで見ました。

レイ・リオッタも不思議な役者さんに感じます。
この人が出てくるだけで、なんかいろんな意味で怪しいんですよね。

ところが本作は、デフォーもレイさんも、実は怪しくなかった、というのがオチといえばオチって感じで、意外でした。
あくまで個人的な裏切りなので、先入観なく見ていたら何のオチでもない・・・のかもしれませんが。

そして、意外とまとまっていて、すっきりしてたんですよね。

むしろ、私はラストをアンハッピーエンドだと感じるくらい、ちょっと元犯罪者レイに感情移入していたかもしれません。

まず、おおざっぱなお話しとしては、「薬で人間を矯正というかコントロール」しようという実験が行われるのですが、その担当医がデフォーです。
今回のデフォーは「いつ怪しくなるんだ」と、様子を伺っていてもいつまでたっても怪しくなくて、むしろいい人です。

実験に対しても真面目ですし、息子を亡くしている過去があるせいか、極悪人であるレイに対しても、親身になっていきます。

そして、レイも実験が進むごとに、自分の過去を悔やむようになり、ある被害者の元を訪ねて謝罪めいた行動をするようになります。

一見、誰にとっても問題がなく、すべてが良い方向に行っているように思えます。

が、本来別人として生活しなくてはならないのに、被害者に近づいたレイの行動から、その兄弟に気づかれ、復讐の為、新たな殺人が起きてしまいます。(恨みからレイを狙って別の人が犠牲者になった)

実験を取り仕切っていた組織は、その事件を、「レイがまた殺人を起こした」と考え、実験は中止してレイを処分しようとします。

実験の成果はでているじゃないか、と止めるデフォーに真実が告げられます。
「与えていたのは薬ではなくただの栄養剤だ」と。


だけど、デフォーはそれでもレイを信じ彼を助けようと動きます。

レイは、始末されますが、最後に見たのは、最初の処刑の時に見た走馬灯とは全く違う、温かく美しいものでした。
最期に、レイ自身がきちんと変わっていたということを証明できました。


と言う感じで、なんだか良いお話しなんですよ!

サスペンスというよりは、セカンド・チャンス・ドラマなんですよね。

なので、意外とまとまってはいるんですけど、求めるものとしては、若干「ちが・・・う」というのが、個人的な感想なんです。

デフォーとレイ・リオッタが揃ってて、心がほんのり温かくなるようなお話しを期待する人って、いるんでしょうか?

むしろ、配役ミスのような・・・。

って、これまたまったく個人的ないちゃもん、ですけどね。

ほんと、なんの先入観もなく見られた場合には、いい映画だなーと素直に感じられるんではないかと思います。

ただ、良い映画だと思ってみても、最後に「死ぬことで真実が証明できた」という部分は、悲しいですよね。

悲しくて良い映画だなんて、一番私の中では見なくていいものなのに。

なので、いくら好きな俳優さんや監督の作品だとしても、あからさまに分かる作品は見ないのですが、本作はやられました。

ただ、見たことは後悔していないので、珍しいパターンかもしれません。

(思ってたのと違ったけど、これはこれで悪くない)

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...