2016年1月14日木曜日

それでも恋するバルセロナ

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2008年作品
監督ウディ・アレン
スカーレット・ヨハンソン、ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス

あらすじ:二人のアメリカ女性が旅先のバルセロナで、ひと時羽を伸ばす。
旅先での解放感のせいか、一時は、バルセロナに居続けたほうが幸せのように感じるが・・・。




ウディ・アレンの異国シリーズって感じでしょうか?

大好きなローマでアモーレ(過去記事へ



より前の作品です。

登場人物も相変わらずゴージャス。
まだ結婚前のペネロペ夫妻とスカジョ。
スカジョはすごく綺麗だと思いますが、個人的には特に好きではない女優さん。

でも、ウディはお気に入りのようですが、本作ではちょっとペネロペに押されて可哀想な感じ。

役柄的にも、そのまんま、なのがウディは彼女に対してSっ気があるのかもしれないと思うくらいです。

まず、ハビエルさんとスカジョの組み合わせが、子供と大人って感じで、ちょっと違和感覚えるくらい。

そこにペネロペが三角関係として加わるのですが、どう考えてもたまたま遊びに来てた親戚の子供状態で、対等な恋愛関係が行われていると思えないんですよね。

すごくきれいな女優さんなのに、こんなことってあるんだなーと。

それは、ただ外見云々だけではなく演技力の差でもあるのかもしれませんし。

ペネロペの役は、ペネロペって綺麗なだけで十分で普段あまり気にする事がないんですけど、それって言い換えれば演技力がすごいから、安定していて何も気にするところがない、という事でもあったんですね。

今回は、エキセントリックなアーティストなのですが、ちょっとペネロペが綺麗すぎるので笑っちゃう部分もあるのですが、すごくなりきっていました。

ハビエルさんは、もともと演技派のイメージありましたし、実際外見を変えることでガラリと雰囲気を変える事がわかっていますから、今回の「プレイボーイ」「アーティスト」「享楽家」というような、ある種のラテン的イケメンとしては、こういう人いるんだろうなーと思える感じ。

だからこそ、そこにアメリカンな金髪スカジョってのが、映画的な狙いでもあったんでしょうが、普段ではあり得ないちんちくりん的な際立ちも発生してしまって、それがずーっと見ている間、気になりましたね。

具体的には、彼らの自由気ままなアーティスティックなライフスタイルに合わせて、写真を撮ってみたりするのですが、するとなかなか才能あるじゃない、となって、その気になってみたり・・・。

友達は婚約者がアメリカにいるにもかかわらず、やっぱりこっそりハビエルと寝てしまったり・・・。

ただ、お話しとしては、「やっぱりアメリカに帰って元の生活に戻る」という落ちなので、その「結局馴染めませんでした」は体現してるんです。

でも、映画としては「馴染めなかった」のではなく、どちらかというと「旅先で羽伸ばしました」が描きたかったんじゃないかな、と思うのですが。

「ローマでアモーレ」は同じ異国を舞台としていますが、ローマが旅人を受け入れていく、というような雰囲気がありました。

こちらは、「バルセロナで旅人が感化される」という感じで、同じようでも差別化されていると感じました。

それだけ「バルセロナ」には強烈な個性がある、という事が言いたかったのでしょうかね。

恋愛の形としても、ただのボーイミーツガールではなくて、浮気、二股というやっぱり、どのみち長続きはしないものがテーマなので、それがウディ・アレンっぽいのかどうか、まではわかりませんが、「ローマでアモーレ」の方が好きだなーと感じるのは、そういった「身もふたもない」話だからかもしれません。


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