2016年1月30日土曜日

マーラー(ケン・ラッセル)



   マーラー DVD

1974年作品
監督ケン・ラッセル

あらすじ:作家マーラーの伝記的映画であり、その妻との恋愛ドラマでもある。

列車の中に乗り込む時には、別れる寸前だったマーラー夫妻だが、車中で夢を見たり、昔を思い出したりしているうちに、だんだん気持ちに変化が・・・。




ケン・ラッセルの初期作品は、ほとんどDVDになっていないようなので、見たことのない作品がいっぱいあります。

調べてみると、VHSレンタルというのもあるようですが、今となってはVHSを見るのも難しいですからね~。

技術の変化によって、必ずしも良いことばかりではないんだなーと、つくづく思いますが、もっと進めば、ひょっとしたらいろんな作品を気軽に見れるような時代もくるかもしれませんね。
というか、そうなって欲しい。

という訳で、主には80年代の作品が馴染み深い、ケン・ラッセル作品も感想をメモしていこうと思います。

本作は、DVDで現在でも見やすい作品です。

マーラー自体の基礎知識は音楽はもちろん、本人事情などもない状態ですが、初めて見た時には、物語云々よりも、その独特のプロモ的な音楽と映像だけの世界が印象的でした。

正直、この手法はケン・ラッセル監督の十八番でもあると思うので、印象的なシーンがいくつかあっても、「どの映画のものか」というのが、わからなくなります・・・。

とにかく、映像が、自然の風景や建物なども含めて、見応えあるんですよね。

なので、ただBGVとして流れているだけでも、存在感がある。

ご本人は無意識でしょうが、まさにプロモの先駆けのような気がします。

あと、こういったカルトだけどアート寄りな作品の共通点として、どこかファッショナブルでもある、というのもありますね。

本作は、特にマーラーの妻のファッションですが、過去の若い頃の回想(夢)シーンでのまさに70年代調のファッションとか、なんかおしゃれなんですよね。

なので、そういうのを見ているだけでも、テンションあがります。

今はちょうど70年代ちっくなテイストが来てますので、特に身近に感じられるのも面白いです。

という訳で、改めて見直してみたんですが、改めてみると、「マーラー夫婦の愛の走馬灯」という感じですね。

マーラーという人が、実在しているとか、どのエピソードが有名なのか、とかそういう事を気にせずに見ました。

もちろん、背景を知っていれば知っているほど、面白さや映像の意味なども深まって、エンジョイ出来る事は確かだと思いますが、知らないのであれば、そもそも中途半端に知る必要もなくて、純粋にこの映画だけを楽しめばいいと思いました。

それほど、映像に価値があると思いました。

まず、冒頭での湖のコテージが突然炎に包まれるシーン。

その後、繭にくるまれた女。

静かに横たわる様は、ちょっとツインピークスのローラの死体を思い出します。

実際は、繭は死んではいないので、うにょうにょとうごいて、羽化? するんですけどね。

そしてその後、側にあった砂の男の顔に近づいていく・・・。

もう、この冒頭だけで、意味不明でありながらも、投げ出したくなるわけではなく、むしろ「ナニ何?」と興味をそそられるんです。

その後、これはマーラーが移動中の列車の中で、見た夢だと、自分で言うのですが。

どうやら、夫婦関係は冷え切っていて、妻には愛人がいて、別れたら堂々とその男と一緒になるんだろ、というマーラーの嫉妬の現れ、だと思えました。


その後、車中から見るホームにで「ベニスに死す」が展開されているのですが、これは正直「?」でしたので、調べました。



そもそも、「ベニスに死す」に使われている曲がマーラーだったんですね。

それにしても、1971年の映画のネタを1974年には公開しているというのは、かなりフットワークが軽い!

でも、そんなイメージ、ケン・ラッセル監督にはなぜかあります。

そのフットワークの軽さのイメージは、どこかシリアス一辺倒ではない、イギリス的なブラック・ジョーク好きのイメージともリンクします。(あくまで私個人のイメージですが)


印象的な夢シーンに、「マーラーが生きながらに棺桶に入れられた葬式」というのがあるんですが、これもどこか笑える。

棺桶の上でカンカン踊りをしたり、火葬の後、灰の中に目玉だけぎょろっとしておかれていたり。

さらには、音楽の為に改宗する回想? 夢想? シーンは、どちらかというとほぼコメディですし。

何故かマーラーがRPGの勇者のように、改宗の剣を作り、ダンジョンに入っていき、成果となるアイテムを見せる、という。

それに合格が出たら、はい、改宗OK! みたいな。

文字にすると、なかなか過激なワードが続きそうなので、自主規制いたしますが、時代もあるんですかね。

今なら、すぐにあちこちからクレーム出そうな気がします。

とはいえ、なんとなく、ですが、ケン・ラッセル監督の作品の中にある、政治や宗教の扱いってなんか子供が他愛もなく「大人が言ってることそのまま意味わからないけど言ってみた」みたいな、そんな無邪気な感じがするんですよね。

よく、かっこいいから、といって意味など気にせずにステッカーを貼る感じ?

だから意味がわかる大人は、ギリギリしたりキリキリしたりするでしょうが、本人はそもそも他意も何もない、みたいな。

まさに永遠のアンファン・テリブル。

そんな、過激な映像を生みだしながらも、どこかキュートさがにじみでるから、私のような無知な一般人でも馴染みやすさがあるのかな、と思います。

そう、決してかたっ苦しくない。


夫婦の危機を、走る列車の進行と重ねて、修復していくドラマとしては、まあ、夫婦っていろいろあるよね。
と、事実の度合いはさておき、かなりドラマチックでした。

夫の影に常に隠されて、本当は出世欲があるのに、専業主婦に収まらなくてはならなかった妻のストレス。

夫は、苦労ののちセレブになったわけですから、誘惑も多く、過ちもあった。

そして夫婦としての最大の過ちは、最愛の娘たちを失った事。

しかも、その娘たちを失う直前の、生前になぜかマーラーは子供たちの弔いの曲を作っていた。

夫婦の絆を確かめるような試練をいくつも与えられ、そして、子供を失ってから身体まで弱っていったマーラーを捨てるかのように、妻は愛人の存在を隠さなくなる。

心身ともに衰弱していたマーラーですが、いろいろ夢を見たり思い出しているうちに、手放したくないという事を確信したようです。

そして、医者の、「心配することないよ」という言葉に力をもらったのか、きちんと妻に伝えるんですね。

「僕の音楽は君の為にある」

と。

まるで音楽が二人の仲を引き裂くのかと思ったら、むしろそれは誤解で、「君がいないとボクの音楽はない」というような事を言うんです。

そして、妻もそれに応えると同時に、愛人は列車を降りていきます。

で、ハッピーエンド!

と思わせつつ、最後の最後、別の医者がマーラーの病状が悪いことを観客だけに? 伝えるんです。

先がほとんどない事を。


本当に、駆け足で、人生の縮図を見せられたなーと思いました。


後味は悪いようにも思えますが、これも一つのハッピーエンドだな、とも思います。

最後っていうのは、誰にでも平等にあって、そのタイミングがどうなのか、というところだと思うのですが、もちろん年齢的にはまだ十分若いとは思います。

だけど、マーラーにとって、マーラーの妻にとっては最後に、二人がまた分かりあえたというのは、ハッピーですよね。

マーラーという人は、幼い過去のシーンもあるのですが、芸術家ですからどこかやっぱり凡人ではなくて、共感とかはまったく期待していないところへの、突然の「シンプルな愛の告白」。

これ、すごい萌えですよ。

どんな天才でも、天蓋孤独で一切恋愛していない、という偉人ってあまり居ないですよね。

家族愛や恋愛に触れると、どんな偉人でも少し身近に感じられますが、このマーラーの告白シーンは、かなりすごいと思いました。

だって、彼の人生のすべてであるだろう音楽が、たった一人の女性の為にある、んですから。

まるで、「君に合うために生まれてきた」と言っているようなものですよね。

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