2016年1月19日火曜日

マタドール(ペドロ・アルモドバル)


1986年作品
監督ペドロ・アルモドバル

あらすじ:性的倒錯者である元闘牛士。その教え子だが、闘牛士への異常な傾倒はあれど、とても向いていない草食ふしぎ君。闘牛士が起こした事件をきっかけに、担当となったのもこれまた政党作者の美人弁護士。
どこかに必ず赤い糸で結ばれる点と点があるんだなーと思わせるお話し。




ペドロ作品を見た中で、一番好き、かもしれないのが本作です。

まず、闘牛士という設定が、私にとってはまったくファンタジー。
常に生と死の境を感じさせながら戦う職業なんて、私が知る限り日本にはない・・・ですよね。
近いと言えば、音速のレースの世界は一つ間違えたら死、に近いかもしれません。
でも、あくまでレースですから、目的はゴールを競う事。
猛牛と戦うなんて、死ぬつもりはなくとも、怪我しにに行くようなものは、やっぱり珍しいと思います。

こういう文化がそもそもある中で育っているか、そうじゃないか、は大きな違いがあって当然ですよね。

ともあれ、私にとってはファンタジーなので、エンタテインメントとしても闘牛というテーマは魅力的です。
強い男の象徴でありながら、衣装はきらびやかで、華やかですし。
闘いというイメージの割には、女性に受けるような華美があって、考えると面白いですね。

そういえば、ダンスに「パソドブレ」という闘牛士と牛役の女性で踊るものがありますが、アメリカンダンスアイドルでも楽しみな演目の一つでした。

ドラマチックで、大げさで、ゴージャスでかっこいい。

そんな世界観に、性倒錯が加わっているのですから、ある種のファンタジー以外の何物でもないですね。

この作品に、殺人事件の犯人捜しはどうでもよくて、単なるちょっと変わった性癖を持った人達の恋愛ドラマです。

怪我で引退した元闘牛士。
闘牛という職業柄、その存在自体が、刹那的ですよね。
なので、元闘牛士の性倒錯者って、あくまでイメージですが、失礼ながら違和感がないです。(イメージですよ!)

この作品の場合、血を見ることで興奮するので、相手を殺してしまうんですね。

そうそう、この作品を見て思い出したのは、バタイユの「眼球譚」でした。



この小説の中にも、闘牛を観戦するシーンがあって、それはこのタイトルでもある眼球につながっていくんですけど、ただ闘牛が出てたなーというだけではなく、それが性的な興奮にリンクする、という部分は、もしかしたらペドロもこの小説の影響を受けたんじゃないのかな、と思えました。

女弁護士はまさにソレ、なんです。
もともと元闘牛士のファンで、彼が牛を殺すのを見て興奮を覚えていた。

ある意味、殺人者となった彼の事件を担当する事になるのは、運命というか必然と言うか。

結末の為の設定でOK!

ただ、ここまでだと、いわゆるヘテロな恋愛ということで完結し、探せば似たような作品があると思いますが、ペドロですから、しっかりと三人目のゲイを登場させて、さらにややこしくしています。

しかも、その彼(闘牛士の教え子、アントニオ・バンデラス)は、すべてを知ってなお、元闘牛士をかばうような行動をとります。

元闘牛士の罪をかぶろうと、していない殺人で自主するくらい。

そして、最後は、やっと出会えた二人は、その性癖を迷わず全うさせます。

それは、最高の出会いの始まりであると同時に、お互いの血を見るという最高の終わりでもあるという、切なさ。

これを純粋なラブストーリーと言うには、ちょっとポエムすぎて恥ずかしかったり、あまりにも非現実的かつ、人迷惑で子供っぽすぎて、大声で言えない感が強いのですが。

この終わりかたこそ、ペドロらしさでもあるんだろうな、と思います。

自分なら、二人が出会えたところからが、始まりで物語を見たいところですから。

それは、よりおこちゃまな思考なのかもしれませんね。

関係ないですけど、「眼球譚」もある意味三角関係の物語なんですけど、本作も三角関係、と言えるかもしれませんね。

三角関係も、不毛がつきまとうテーマなので、ファンタジーとして惹かれます。

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