2016年4月14日木曜日

天国からきたチャンピオン


1978年作品
リメイク

ウォーレン・ベイティ、ジュリー・クリスティ

あらすじ:スーパーボウル出場直前に事故で死んでしまったフットボール選手。

だが天国への経由地で、「死ぬはずない」とだだをこねていると、それもそのはず、新人天使の処理が問題で、実はまだ寿命は50年残っていたのだとわかる。

だったら、元の身体に戻そう、とした時にはすでに火葬されてしまい・・・。




タイトルは知っていたのですが、ありがちな子供と幽霊のハートウォーミングな感じのドラマかなーと勝手に思い込んでいました。

そして、これリメイクでもあるんですね。

確かに、そんなに知らなかったけど名作って感じがしました。

70年代とはいえ80年代に近い作品なので、やっぱりこれくらいの時代っていいなーと思いました。

【おはなし】

ラムズのQBジョー(ベイティ)は、スーパーボウルへの出場が決まり浮かれていた所、自動車事故にあって死んでしまう。

だが、それは天使の手違いで、実は持ち前の運動神経で事故に巻き込まれずに避けられていたのに、事故に巻き込まれると思い込んだ天使が「可哀想だから」と早めに経由地に連れてきてしまったのだった。

それが発覚し、素直に間違いを認めるとすぐに元の身体に戻してくれるというが、時すでに遅し。
ジョーの身体は灰になっていた。

そこで、代わりの身体を見つけると言われ、ジョーは「スーパーボウル」に出られる身体と注文をつける。

ミスはミスなので、なるべく要望に応えようとしてくれるが、なかなか満足する身体は見つからず、ある日紹介された大富豪ファーンズワースも気に入らなかった。

が、ファーンズワースに文句を言いに来た女性ベティが気になったので、「一時的なら」と身体に入る事に。

ファーンズワースは、大富豪であったが、その富はどうやら決して良い事だけで儲けているのではなく、そのベティの訴えも、ファーンズワースの事業のせいでつぶされる街を守る為だった。

フットボールしか頭にないので、いきなり会議と言われてもまったくわからないジョーだったが、ベティの役に立つため、勉強をする。

周囲には急に言うことを変えて驚かれるが、ジョーの言う事にも説得力があり、なんだかんだベティを助ける事ができる。

調子に乗ったジョーは、その財力で「この身体を鍛えてスーパーボウルに出る」と考え、トレーナーとして旧友のラムズのマックスを雇う。
ところが、いきなり知らない大富豪に呼び出されたマックスは、正直に「無理です」と断る。
ジョーは、「俺だよ」と説得するが、すぐに信じるわけがない。
だが、そこで日頃吹いていたサックスを吹くと、マックスにもジョーだと認識される。
それでも無理だというと、ラムズを買収してQBとして入団してしまう。

当然、選手たちからは猛反発を受けるが、実際プレイをし始めるとその実力が認められ、受け入れられていく。

そして、ベティへの想いもはっきりし、妻と離婚する! と宣言までしていたが、大天使から「そろそろ次の身体に移る時間だよ」と言われてしまう。

いやだ、と抵抗するが「最初に一時的といったのは君だ」と言われ認められない。

ベティには万が一の事を想い、「いつか同じ瞳を持つQBが来たら、怖がらないで欲しい」と伝えておく。

そもそも、妻と秘書の不倫カップルに命を狙われていたので、何度か命拾いしていたが、その時が来て、ある日とうとう撃たれてしまう。

ファーンズワースの身体は井戸に落ち、ジョーはまた天国への経由地へ。

ファーンズワースは失踪したことになり、関係者が屋敷に集まって捜査を受けるが、拉致があかなく、マックスはスーパーボウルのTV放送を見出す。

するとラムズのQBトムが怪我をしてしまう。

それは、ジョーの次の身体候補で、すぐさまジョーが入り、大活躍をする。

その姿を見てマックスはすぐに「ジョーだ!」と気づき、屋敷を飛び出してスーパーボウル会場を目指す。

ラムズは見事ジョーの活躍で優勝する。

そして、大天使が現れこのドタバタがこれで終ることを告げる。

この先は、ジョーの身体は固定するので、もはやジョーとしての記憶はすべてなくなり、トムという人物として生きるのだという。
もちろん、天国うんぬんの記憶もファーンズワースについても消える、という。

そして、ロッカールームでジョーのサックスを持って待つマックスが声をかけた時、すでにジョーの存在は消えていた。

会話がかみ合わないことから、ジョーが消えた事を認識するマックスは優勝の喜びよりも、ジョーへの弔いの気持ちでサックスと一緒に一人ロッカールームに残る。

祝賀会に行く、トム(外見はジョー)は「マックスに会いに来たけどどこにいますか?」という1人の女性とすれ違う。
それは、屋敷を飛び出したマックスの様子が気になっていたベティだった。
案内しながら、「どこかで会っていないか?」と気になるトム。

会っていないといいながらも会話を進めるうちに、惹かれあう二人。

そして、祝賀会を止めてトムはベティを食事に誘う。

ベティもマックスを探すのを止めてトムについていく。

【かんそう】

ウォーレン・ベイティが若いです!

でもウォーレンだったw

ウォーレンがフットボール好きなのか、アメリカ人が好きなのか。
とにかくフットボール映画といってもいいくらいでした。

そのせいか邦題がスポーツドラマ寄りなんでしょうかね?

原題は「Heaven Can Wait」でこちらのほうがやっぱりしっくりきます。

だいたい、日本語が変なんですよね。このタイトル。

天国には行ってないし、まだチャンピオンではないし。
あと、団体競技だけど、チャンピオンが指すのは1人の事だろうし。。。と、実は適当な感じですねw

内容的にはスポーツ感を押し出さないほうが、広くアピールできたような気がします。

少なくとも私は、想像よりも面白かったので。

時代の良さもあると思います。

設定としても、まだ「一度死んだけど、また戻って~」というのがまだ珍しい時だったようですし。

そのせいか、厳密には気になるところはありました。

例えば、ジョーが体に入る=その身体は死人、という事のようですが、となると、ファーンズワースが殺されたら身体を移動している、という設定はちょっとしっくり来ない。
そのままファーンズワースで生きてもいいんじゃないでしょうかね。

またジョーが入っている人の顔は、観客にはジョーに見えています。
でも、周囲の人には顔まで変わるわけではありません。

だからベティが恋する顔はあくまでもファーンズワースの顔。
そこで「瞳」という外見に左右されないパーツをアイコンにしているのですが、最後に定着するトムは、定着後も観客にはジョーのまま、なんですね。
で、ファーンズワースがどんな顔かも知りませんが(ジョーしか見てないので)ちらっとすれ違って一言二言会話した、トムについていくベティっていうのは、運命云々よりも軽すぎない? って気も。
ファーンズワース自身はその直前に失踪から死んだ、と判明していますしね。

いくら、「またQBになって会おう」的な事を言われていたとはいえ、ジョーからもっと明確な説明を受けているわけでもないし。

むしろファーンズワースの死について悲しんで、まだ出会えていない、くらいで終ってもいいような。
(先の良い予感は見せておきつつ)

あそこは、そのままトムとはさらっと別れて、マックスに会ってジョー(ファーンズワース)の話を聞いて、そしてトムを意識する、とかそれくらいで良かったような気がします。

って文句いいつつも、そんな雑さも含めて、良かったんですけどね。

ベタな雲ふわふわの天国への経由地に飛行機が止まってるとか、天使や大天使はフツーのスーツとか。

擬人化? というか、ファンタジーの表現具合が好きな感じでした。

でも、今の若い人が見たら、シゲキがなさすぎてつまらないのかもしれません。

私はこういう、古い時代の雰囲気が大好きなので、すごく楽しめましたけど。

ストーリーも映像も登場人物も。

変にヒネリもなく、悪くいえばカジュアルなんですけど、それくらいで十分だと思えます。

何も考えずに、その世界を楽しんだもん勝ち、みたいな。

そうそう、フットボールのウエアとかも超古い感じで、それも含めてファンタジーっぽさがあったのかもしれませんね。

ファンタジーといってもモダンファンタジー。

この時代って、そういうストーリーで面白い、というような作品が多いイメージがあります。

この先の時代は、ファンタジーとSFの境目のような事って、下手したら実現しそうな感じがして、むしろファンタジーとして楽しめないのかもしれませんね。

だから、古い映画だととんでも設定を素直に楽しむ事ができるのかもしれない。

それに、なんか映像とかもさらっとCGとかではなくて、工夫して一生懸命撮っているように見えるんですよね。
もしくは、本作のように事故シーンはトンネル真っ暗で音だけ、という工夫とか。
今だと手抜きって言われてしまうのかもしれないけど。
トータル的に、あそこは見せない事で、成立してるし、いいな、と思いましたけど。

まあ、ただこの時代の映画が好き、というだけの欲目なのかもしれませんが。


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