2016年2月12日金曜日

ヒストリー・オブ・バイオレンス


Howard Shore ヒストリー・オブ・バイオレンス オリジナル CD

2005年作品
監督デヴィッド・クローネンバーグ
ヴィゴ・モーテンセン、エド・ハリス、ウィリアム・ハート、マリア・ベロ
原作 コミック




あらすじ:どこにでもある平凡なダイナーに、ある日強盗が入った。
ところが、店の主人が返り討ちにし、見事客を守った。

それはニューヒーローの誕生で、ニュースとして盛り上がるような出来事だった。

だが、有名になった主人の元に、一目で堅気ではないとわかる男が訪ねてくるようになる。

「忘れたとは言わせない」とスカーフェイスを見せるが、人間違いだと言い張る。

ところが、執拗につきまとわれるようになり・・・。


これは好きなドラマ性の強いクローネンバーグ作品です。

ある意味監督のカラーとも言える、特に売りとなるような奇をてらった映像があるわけではないですが、だからこそ静かな暴力の恐ろしさが引き立つ渋いドラマです。

つくづく私は、クローネンバーグのドラマ性が好きなんですね。

やっぱり、彼が描こうとするドラマって、ちょっと普通ではない、ですよね。

本作は、コミックブックが原作になっていて、アマゾンではレビューも見れます。

それによると、映画はやっぱりクローネンバーグの作品と言う感じになっているようで、あくまでベースになっている、と考えて良いようですね。

コミックはマンガという時点でよりグロい表現もあるようですから、鑑賞の際はご注意を。(私は文字情報だけでも無理です)

というわけで、原作はさておき、映画そのものの感想になりますが、まずクローネンバーグ監督の創作に対する意欲がすごいな、と思いました。

オリジナルはもちろん、小説にゲームに、そして漫画。

いろんなものから刺激を受けて、自分の色に塗り替えます。

作品のテイストにも、幅があってだからこそ、私のような「好きな作品」と「そうでもない作品」が分かれる訳ですけど、かといって軸がブレているわけでは決してなくて、「やりたい事がたくさんある」ように感じられる、常にエネルギーがあふれているようなところが凄いと思います。

幅のせいで、「大好きな」とは言い切れないところが残念ではあるのですが、それでも、リリースした作品については常にチェックしたくなります。

自分の中の好きな作品だけ、の話になってしまいますが、

「戦慄の絆」「クラッシュ」と本作も大きな括りでは一つですが、この2作と、本作そして次の「イースタン・プロミス」の2作は、ちょっと同じ学年だけどクラスが違う、みたいな感じです。

例えが下手ですね><

あくまで個人的な見解ですが、全部「おこちゃま」なんですよ。
だから、私のようなおこちゃまちっくな人間が見て惹かれる。

ただ、前2作は、その中でもフェチ度が高すぎ+テーマが特殊なので、まあ人を選びます。

本作と、次の「イースタン・プロミス」はフェチ度はないですね。
 

テーマは普遍的な「暴力」というものになるので、そういう意味では、あまり人を選ぶわけではないと思います。

(暴力、と言う時点で選んでいる、というのはさておき)

例えば、「マシーンに萌えるわ~」という感情は、わかる人以外にはわかりにくいと思いますが、「暴力って怖いよね」は体験があろうがなかろうが、誰でもわかりますよね。

なので、ある意味これまでは「隠れ家」的飲み屋でゲテモノ料理を出していたんですが、表通りのオープンテラスの店構えで、「へー、ちょっと入ってみようかな」って入ったら結構メニューはゲテモノでした、みたいな感じ?

例えが下手ですね。

ま、ともかく、なんとなくクローネンバーグが敷居を下げてきたけど、そのほうがタチが悪いんじゃないかなー、と思えるのです。

そういえば、少し前になりますが、同じようなタチの悪さを感じたのが、2015年春夏MIUMIUのコレクションのイメージが「ジョン・ウォーターズのフィメール・トラブル」だと話題になりました。

久々に聞いたわーその名前、と思いましたが、この情報から、MIUMIUを好きななうでヤングな女子が、食べてはいけないものを食べるディヴァインにたどり着いてしまうのではないかと思うと、ハラハラしました。
あんなもの見るもんじゃありません。おえ。

こういう自覚のないトラップが本当にタチが悪い。

で、まあ、MIUMIUみたいに、甘いスイーツのような見た目で人をおびき寄せているわけではないので、クローネンバーグ監督の映画はそこまでタチが悪いとは言えないでしょうけど。

タイトルに「ヒストリー・オブ・バイオレンス」とあるので、まあ、なんとなくどんな映画かは想像して見れますからね。

ですが、人によっては「スカっとする系」のアクション映画を想像するようなタイトルにもなるかなーと思います。

クローネンバーグだ、という事を意識しているなら大きな問題は起きず、大丈夫だとは思いますが。

というか、ひょっとしたら私のようなドラマ派ではないクローネンバーグ・ファンには生ぬるくてつまらないくらいで、そういう意味では、逆がっかり、とかはあるのかもしれませんね。

それは各自で処理していただくとして。

お話しは、そもそも殺しのプロ、マフィアだった主人公が、その過去をいつわって、まるで平凡な男になりすまして、ダイナーの主人をしていた、というものです。

「人違い」に何かトリックとか、別のストーリーが展開したり、とかっていう凝ったタイプではなく、そのまんま、です。

要は、最初はしらばっくれているのですが、窮地に立つと、ついつい本性? の人殺しの顔が出てしまい、自分も周囲も誤魔化しきれなくなる、という。

特に、息子が、まだ殺し屋ではなく父がヒーローになった段階で、いじめられた際に、父の勇敢な姿をイメージして、やり返してしまう、というシーンがあるのですが、まさに、血、ですよね。

結局、家族にもバレるのですが、最後に選んだのは、やっぱり家庭のある平凡な男として生きる事。

そして、すべてを知ってしまった家族も、決して大歓迎するわけではないですが、戻ってきた父親を無言で受け入れる。

まあ、ここが面白いところで、

「無言」である以上、実は「受け入れているのか」「どう思っているのか」については、明確にはわからないんですよね。

ただ、家の鍵を変えてもいなければ、席があるので、一応、完全に拒絶してはいないのですが、実際は、「この人怖いから逆らえない」という恐怖を抱えたままその家族は暮らしていくかもしれないです。

そんなところが、ものすごく怖いな、と思いました。

ちょっと、ゴーンガール(旧ブログへ



を思い出しました。

何が描きたいのかというのは、わかりませんが、本作で感じたのは、

「人は見た目では判断できない」 (ダイナーの主人は、一見普通なのに人殺し)
「人は見た目で判断できる」(スカーフェイスのマフィアは容貌のまま怖い人)
「過去は清算できる、とは言えないかも」(本人は、必要に応じて能力ONOFFできるから、とてつもない管理力が必要だし、関係者は割り切れない)
「罪はつぐなわなくていいの?」(まず、主人公は普通の生活する前にやる事があるんじゃないのか?)→ということは、どこかの神経がやっぱりおかしいので、超危険な人物。
「愛があれば何でもOKなのか? それは愛なの? 愛って何?」(こんな人に愛されてしまった奥さんは、ある意味可哀想。)

「バレなきゃ全部オールオッケーだった」(ウソをつくならついたままにして欲しい→ウソも真実になる)

というような、やっぱり全面的に許容できなくて、怖い話だなー、という事です。

暴力に封じ込められた、平凡な家族のお話し。

そして、その暴力は、息子に受け継がれる・・・、んでしょうかね。

暴力の歴史を繰り返す事に、何も知らずに協力してしまった奥さん。


誰もが、結婚する前は他人です。

過去をすべて知って結婚するというのも、なかなかなくて、そこは二人の間の信頼関係で成り立って行くんだと思います。

だけど、この家族はその信頼を失ったまま、どう生きていくんでしょうか。

何なら許されるのか。


これ、嫁側(女性)だからこそ、余計に怖いと思えるのかもしれませんね。


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