2016年2月15日月曜日

ZOO A Zed & Two Noughts


映画 (Movie) / ZOO 〔BLU-RAY DISC〕

1985年作品
監督ピーター・グリーナウェイ
アンドレア・フェレオル、ブライアン・ディーコン、エリック・ディーコン、ジョス・アックランド

あらすじ:動物園の前で白鳥による自動車事故が起きる。
車に乗っていた3人の女性のうち、2人は死亡、1人だけ生き残るが、片足を失ってしまう。

そして、その事故でお互いの妻を失った双子の兄弟は、ショックのあまりそれぞれがおかしくなっていく・・・。




ピーター・グリーナウェイを知るきかっけになった、すごく好きな作品です。

劇場で見て、パンフレットも探せばどこかにある・・・はず。

マイケル・ナイマンという存在もこの映画で知り、サントラCDを買いました。

ありきたりですが、本当に音楽が印象的で、今でもTVのBGMなどで使われる事は珍しくないですが、この映画のサントラの完成度は高いと思います。

ただ、今回改めて調べてみて、本当に私は何も知らないんだなーと、思いましたw

まず、勝手なイメージでグリーナウェイって、イギリスの人だとは思ってなかった。
ヨーロッパはヨーロッパでもイタリアか、オランダとか。
なんかちょっと英語じゃない人のイメージでした。

と言う感じで、普段はあまり気にしないような事を、感想を書くことで知る事が出来るのは、面白いですね。

そして、ネットの時代になって、簡単に「〇〇好き」というと、イコール専門家みたいに知識があると思われるのが怖くて、言いにくくもあるのですけどw

ともかく、映画として好きです。

多分、グリーナウェイの作品の中では、結果的に一番ポップ? な作品だったんじゃないかと思います。

ポップっていうと語弊があるかもしれませんが、まず時代が現代設定ですから、パっと見ではそれ程人を選ばない、はず。
その上、映像的には、とても綺麗で見応えがある。

様々な色味、シンメトリーな構成、点滅が印象的なライティング、等々。

お話しも、割とわかりやすい・・・んじゃないかなぁ、と。


元シャム双生児であった双子が、妻を亡くしてショックで、頭おかしくなっていく。

愛する人の死を経験したからこそ、生命の誕生から終わりまでについて、とりつかれたようになる。

(生命の誕生のビデオと、物が腐敗していく記録)

同乗して生き残った片足の女性に、事故の話などを聞いているうちに、三人の関係が出来ていく。

女性は双子を生むが、シンメトリーにこだわる医者によって、両足を失っていた経緯から、体力的に死んでしまう。

また愛する人を失った双子は、APPLEからはじまった腐敗の実験が、ちょうどZEBRAになった所で、特注のスーツを着て自分たちも生まれた時のつながった状態に戻っていた。

そして、最終実験として、二人並んで腐敗する様を記録に残そうとするが、機械が燃えて記録は残らないまま、終わる。


と言う感じで、つっこみどころは満載ですが、ストーリーとしては、何かヒネリがあるわけではないので、監督の作品の中では、ポップ・・・だと思いました。

なので、私みたいな知識のない人でも「好き」と思えるわかりやすさがあると思います。


だけど、いろんな知識がある方ならば、さらに面白く感じるんだとは思います。

特に、フェルメールや人類の進化など。
グリーナウェイの作品にありがちな、いろんなサインが画面やセリフや設定、あちこちにちりばめられています。

フェルメールってミュージシャンズ・ミュージシャン的な、アーティストとかにすごく支持されている印象があるのですが、それが私には知識がないから、わからないんですよね。
もしも、その魅力が分かる人であれば、もっとこういう作品は楽しめるんでしょうね。

あとまあ、外国の映画にはありがちですが、宗教とか文化がわからないので、示されているサインやテーマにまったく気が付かない、というのもあるある、ですね。

特に、私が気になったのは、最初の自動車事故がなぜ白鳥(SWAN)であって、フラミンゴじゃないんだろう? という事でした。

記憶としても曖昧になるくらい、この映画はシンメトリーが光ならアシンメトリーは表裏一体の影なのだから、片足で立つフラミンゴがアイコン的な存在だった・・・と思ってしまうのですが、フラミンゴ自体は登場しても、事故のシーンは白鳥なんです。

それはどうやら、ギリシャ神話の「レダの白鳥」じゃないか、とかとか。

でも、それ自体を知らなくても、「白鳥で事故」という設定が誌的な感じで、ただものじゃない感にドキドキできます。


そんな感じで、知識のない自分なりにこの映画を見て思ったのは、夢野久作の小説「ドグラマグラ」でした。
ドグラマグラはもちろん理解できるわけもない怪作ですが、その中で「人間の腐敗を絵に描きとめていく」というエピソードがあります。

まさに、本作の「最終目的」があっさりと登場しているので、グリーナウェイがドグラマグラを知っていたかどうかはさておき、面白いなーと思いました。
(グリーナウェイはのちに「枕草子」という映画がありますから、日本の文化をチェックしている中で知っていたら面白いな、と思いました)

あと、アルファベットがちりばめられているという、仕込みっぷりは、のちに「数におぼれて」



では、数字にこだわっている事で反復されます。
反復といえばマイケル・ナイマン!?


最初に見た時には、わかるはずもない、病室に双子が訪ねるシーン。
女性を中心とした完全なシンメトリー構成になっている左右に、ゼブラのおもちゃとりんごが置かれています。
それを、何気に手に取る双子。

この時すでに、「AからZ」の物語が始まっている事が示されているんですよね。

ただ、面白いなと思ったのは、APPLEからではなく、ZEBRAから見せられているような感じで、そこの意味合いは、逆再生のようでもあるんです。

だけど、腐敗の実験はきちんとAPPLEからZEBRA。(本当はZEBRAが終わりではないんだけど)

そして、腐敗は終わりへの進行ですが、もう一つよく見ていたビデオは生命の誕生ですから、イメージとしては、始まりの進行。

だけど、実はそれは同じ事で、始まりは終わりへと進むだけ。

まさに、カタツムリのぐるぐる、なんですよね。

なので、最初は「カタツムリ」も両性具有に何かあるのかなーとか、その程度でスルーしてしまうのですが、最後にあまりに大量に出てくるので、「もっと何かあるのかなー」と思って気にしてみると、もしかして、ぐるぐる、メビウスの輪をいいたいのかな、と思ったり。

ちょうど80年代のドイツのノイズ代表? アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの「建築の為の破壊」を思い出しますね。

まさに、対極に思えるものこそが、線上でつながっていて、完全には切り離せない。

厳密には違うんでしょうけど、どこかアンビバレンツな感情と似ているようで、ある意味特殊ではなくて、普遍なんだと思うんです。人間なんてそんなものじゃないかと。

簡単に言ってしまうと、生は死で、死は生、なんだって当たり前の事に、ちょっととりつかれすぎてしまった可哀想な双子のお話しなんですね。

なので、これを見て思うのは、そんなの当たり前なんだから、気にしないで生を謳歌するべきだなーって事です。

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