2016年3月15日火曜日

ミスター・アーサー(2011)


2011年作品
リメイク(1981年)

ラッセル・ブランド、ヘレン・ミレン、ジェニファー・ガーナー、グレタ・ガーウィグ、ニック・ノルティ、ナイジェル・バーカー

あらすじ:舞台はニューヨーク。ある財閥の御曹司アーサーは、特に働くわけでもなくほぼアル中状態で、家の金を好き勝手に使ってバカな事をし、後始末はばあやという、いつまでも子供のような生活をしていた。
セレブとしてゴシップを提供し続け、とうとう警察のお世話になる始末。
それがきかっけで事業に影響が出ていたので、いよいよ母親は縁を切るか、大人しく政略結婚をして一生遊んで暮らすかの選択を迫る。

相手は母親の部下で、嫌な成金の娘(ジェニファー・ガーナー)なのだが、アーサーには断る術はなく、仕方なく受け入れる。

だが、たまたま町で出会った女の子に一目ぼれをしてしまい、いい感じになっていくが、婚約の事が言えない。

母親には「結婚はして、浮気すればいい」とサラッと言われ・・・。


TVで見ました。

オリジナルを見たことがなかったので、リメイクですがどんなお話しなんだろう、と興味を持って見てみました。

なんかいろいろ残念すぎて、ある意味オリジナルが見たくなりました。

まず、主人公のアーサー。
ラッセル・ブランドってあまり知らないのでわからないんですけど、多分役作りだとは思うんです。
しゃべり方が大げさでバカっぽくて、それが延々続くのですが、最後まで受け入れられなかったです。

大事な主人公がそんな感じなので、感情移入の行き場がなかったです。

ニューヨークが舞台である事と、セレブということで、ボクシングを習えば有名なボクサーが先生だったり、家族写真が雑誌の表紙になるといえば、ナイジェル・バーカーがカメラマンだったり、という派手さは、面白かったです。

あと、セントラルパーク駅を貸し切って、そこでアクロバットを見ながらお茶する、とかいわゆるセレブ都市伝説的な小ネタは期待通りでもあるんですけど、それらが「他人に迷惑をかけている行為が含まれる」のが主人公のバカさを際立たせていて、狙いなのもしれませんが、やっぱり感情移入できない。

まず、セントラルパークは通勤電車を何本も止めて大ニュースになったらしいので、本当に迷惑。
バットモービル? で市内を暴走して町の建造物を壊すのも、どう考えても人が犠牲になっていないからといってOKではない。

それをヘラヘラしてお金ですべて解決して、しかもそれは自分が働いたわけではなく家の財産。
使うことで家にダメージを与えたいというようなやり取りがあったのですが、アホ丸出し。

しかも、ほぼアル中で、そもそもどうしてこんなモンスターがラブストーリーの主人公で良いと思ったのか。

応援したくなる要素がひとつもない。

母親が子育て放棄した結果の怪物というような正当化ちっくな説明も少しあったのですが、実はそれ、母親ではなくて、むしろずーっと側で面倒みてきた「ばあや」のせいですよね。

でも、この映画の中で「ばあや」は唯一の良心、まともな人間という立ち位置なので、そう思えてしまうというのも、どうなんだろう、と。

途中、バットマンちっくに、その長年頼りにしてきたばあやが病気になり、初めてぼっちゃんがばあやと立場を入れ替えて、世話をするけど、お茶を入れることすらできない、というようないかにも「ほのぼの」エピソードが入るのですが、これくらいで巻き返しは無理です。

むしろ、あーまた病気出せばいいと思って・・・。
と構えてしまいました。

ばあやは、本当に良い人なので、ばあやの存在が結構軽くなっていて残念。


そんな感じなので、まず、町で出会った女の子も、アーサーの事を好きになるというのも、説得力がないんですよね。
なんかかっこよくないし・・・。
ただ、金持ちだとわかって家に遊びにきた時のピュアな「家探索」みたいなノリは好感が持てました。
変に「私お金に興味ないから」というタイプでもなく、金持ちの家を素直に楽しんでいた。
それで、この子はいい子なんだということは、ばあや同様すぐわかり、味方をしてしまいたくなる、というのもわかる。

ただ、ばあやがブレブレなのも露見しちゃうので、本当にばあやがもったいない。

まず、ばあやがしっかりしてたら「アーサーはこんなアル中のセレブニートになっていない」
だけどそうなっているということはばあやも、その程度の仕事をしてきていた。

ところが、アーサーが本気で良い子に恋をした、とわかると、突然「ばあや」の範疇を越えて、アーサーの為に動き出したりする。(本当のアーサーの幸せを考えてあげて、女の子の家に行ったり、母親に口出ししたり)

と言う感じで私にはばあやは2人いるように見えました。

もしかしたら、ばあやが自分の病気を理解していて、最後の最後だからばあや、としてではなくアーサーの友人として振る舞おう、と思ったのかもしれませんが。

それはそれでばあやは打算的だな、となってしまうので。

ともかく、ラブストーリーとはいえ、ばあやとの関係性のほうがメインと思えるくらい、ばあやは印象深いのですが、結局あっさり亡くなってしまいます。

そして一番の味方のばあやもいなくなったというのに、政略結婚式当日に、「やっぱやーめた」といい、母親にもともと迫られていた選択をしなおします。
全てを捨てて自由を取る、という。

そのまま彼女の元に行きますが、彼女にはその場ではフラれます。(結婚の事をずっと隠していた事とか、彼女の夢を叶えようと裏で金を使っていたことなどがあったので)

ここで、数年後になります。

無一文でかつこれまでセレブニートだったアーサーが本当に家を切り捨てられたかといえば、途中ははしょられていますが、母親とは和解をしているが、以前のような派手な生活ではなく地に足のついた生活を始めていました。
そして、夢を叶えた彼女に再開しにいき、またつきあいが始まる、というめでたし、めでたしなんですけど、映画とはいえ、リアリティがなさすぎるのと、アーサーのアル中との戦いは、誰もが苦しむ可能性があるものなので、それを推してこられても、「ミスター・アーサー」という作品としては、どうなんだろう? と。

昔はわかりませんが、今ならセレブの御曹司としても「こんなイメージ持たれちゃ困る」とクレームしたくならないかなーと思いました。

あと、アーサーの描き方以外にも、政略結婚相手の父親が、成り上がり体育会系?ニック・ノルティで建築業なのですが、自分の建築中のビルにアーサーを呼んで、根性試しで電気のこぎりの安全センサーで根性試しをさせるのですが、まったく笑えないし、不愉快しかなかったです。

そのネタで親子でアーサーを脅して、政略結婚を進めようとするのだから、本当に誰の目線にもなれないんですよね。

唯一の拠り所、ばあやのブレには目をつぶったとしても途中でいなくなっちゃうし・・・。

そしてこんな濃いキャラの集まりなので、ヒロイン? であるはずのパンピーの彼女は超影が薄くて。

うーん、やっぱりオリジナルを見る機会があったらぜひ見てみたいですね。

どこまでオリジナルに忠実なのか。

なんか、もっと素直に感動できるお話しだったのではないかなーと思うんですけど、どうなんでしょうね。

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