2016年3月21日月曜日

ザ・クリミナル 合衆国の陰謀


ロッド・ルーリー ザ・クリミナル 合衆国の陰謀 DVD

2008年作品
ケイト・ベッキンセイル、マット・ディロン、ヴェラ・ファーミガ、デヴィッド・シュワイマー、アラン・アルダ
、ノア・ワイリー
実話ベース


あらすじ:ある女性ジャーナリストがある女性がCIAのスパイであるという情報を手に入れ、それを記事にして大ニュースとなった。
本来機密事項であるはずのCIAの個人情報が漏れていることから、記者に対して情報源の厳しい追及が始まるが、情報提供者を守リ続ける。

その結果、女性記者は1年以上も刑務所に入れられ、家庭は崩壊、親権まで手放す羽目に。

法が政府の味方になってはいけないと、彼女の弁護士も力になるが、CIAはほころびの元を見つけない限り手を緩めない。

その情報源さえ告白すればこんな風にならずに、彼女が人生のすべてを失ってまで守っているものとは・・・?


実話ベースということで、見終わってから実際の事件との差異が気になってWikiを少し見てみましたが、なんか難しくてすぐ断念。

ということで、実際の事件についてはよくわかりません。

あくまで映画作品としての感想ですが、面白かったです。

でも、内容的に楽しいお話しではないので、総評価としてはちょっと低くなりますね。

かなり個人的な理由になりますが、まず主演のケイト・ベッキンセイル。
名前は存じてましたけど、今回初めて主演作品をまじまじと見たかも。

TVの吹き替えがすごく女がイラっとする女の話し方って感じだったせいかもしれないけど、なんか好きになれなかった。

まあ、役としても「女がイラっとする女」ちっくなんですよね。

美人で、賢いからジャーナリストという職業を選んでいるんだろうけど、野心もあって、CIAのスパイ漏えいという危険なネタに嬉々として飛びついてしまった。

だけど本人も作中で言ってましたが、「こんなことになると思ってなかった。」という甘さも。

そして、すっぱ抜かれたCIA本人は、ジャーナリストの息子が通う小学校の同じ母親で、やはり今回の件をきっかけに親権を失い、表向きの幸せな生活をすべて奪われた挙句、スパイとばれたところで過激派に命まで奪われてしまう。

そもそも、CIAが全力でウソ発見器にかけて犯人捜しをしても、犯人は出てこなく、その女スパイの自作自演ではないかと疑われてしまう始末。

細部までは想像つかないとしても、CIAの身元をバラす事で何も起きないわけがないと、なんでジャーナリストという職業でありながら、予測が出来なかったのか。

私はどちらかというと、身元をバラされた女スパイの方に感情移入できました。

ジャーナリストは、「スーパー記者気取りのやな女」と言う言葉がぴったりで、可哀想ではあるんだけど、どこかで自業自得じゃん、と同情できないのでした。

【何故か犯人が気にならない】

最後の最後に、「機密事項を漏えいした犯人」が明かされますが、実はそのシーンになってみて、初めて「あ、犯人って本当にいたんだ」と思うくらい、私は「犯人捜し」をまったくしていない事に気が付きました。

どちらかというと、ジャーナリズムとかそういうテーマの方が目に着いたんだと思います。

女性記者はまるで私がCIAの立場に立っているかのように、何から何までイラつくのですが、唯一女性側で好感が持てたのが、担当弁護士でした。

登場こそ、いかにもセレブ専門ちっくな派手な事件でがっぽり稼ぎますよーっていう怪しい感じがして、胡散臭かったのですが、むしろこの弁護士だけが良心のような感じでした。

弁護士として彼女の身は守るけど、彼女の主張? を守る訳ではないと、途中で口論になります。

それだけでも心強いのですが、最後の最後にそういった自分の意見を自分で訂正します。

決して、「情報源を吐けば終わるんだ」というのではなく、「情報源を守ってこそ、情報(誌)の存在があるから、法のバランスをこれ以上崩してはいけない」と味方でい続け、結果「主義こそ彼女の人生だ」と認めるのです。

情報源を守り続けることが出来ない世の中にしてはならない、という。

だけど、結果的には、彼女は犯罪者になってしまいます。

一度は釈放されたものの、すぐにCIAに反逆罪ということで捕まり、最終的に2年という罰を受けます。

それでも、最後まで情報源を守るという事はできたのですが・・・。


【後味の悪さ】


一見、強い主義あっての行為のように思えた女性記者の行動ですが、実際は、「そうせざるを得なかった」という理由がありました。

それは、その情報源が「CIA女性スパイの娘」だったからです。

CIA自体も疑りをかけたように、子供が同じ学校に通う母親同士ですから、どこかで接点があってもおかしくはなかった。

だけどそれが、たまたまスクールバスで1度だけ隣同士に座った、女性記者とスパイの娘の会話ですから、誰もたどり着くことが出来なかった。

でも、この回想シーンで子供は「誰にも言っちゃだめだよ」と女性記者に言うんです。

彼女は、その約束を破っています。

そして、子供が大きくなって自分のしたことの意味の大きさを知った時、どう思うでしょうか?
自分の些細な発言から、母親との生活を失い、そして、母親の命まで失ってしまった。

女性記者はそこまできちんと考えて行動していたのでしょうか?

多分、考えたとしても頭によぎる「ピューリッツァー賞」に上書きされて消していたんじゃないでしょうか?

犯人が分かったところで、より主人公に嫌気が差して終わりました。

そして、さんざん弁護士も歩みよって、美化されかけていた彼女の主義というのも、薄っぺらく感じてしまいました。

何か苦労の末手に入れた情報でもなく、棚ボタで手に入れた情報です。

ある意味、楽してジャーナリストとしての名声をつかめる。

冷たいようですけど、その代償としては、彼女に課された罪は妥当かもしれません。

そもそも事故でもなんでもなく、本人が選んだのですしね。

それと、冷たくしたくなるほど、吹き替えのせいか、本当に同情できなかった。

女の友達いなさそうな感じ。(女刑務所でも殴り合いしちゃうし・・・)


【この映画の目的は?】

途中までは、「ジャーナリズムとは」というような事が裏テーマなのかなーと思っていました。

発言の自由とか、知る権利とか。

ところが、今回の話題はそれを考えるには微妙な内容なんですよね。

スパイをスパイだってバラして、何かいい事があるのかな? と。

事件を詳しく書くと、

「ある女スパイがある事件について調べた時に、A国の関与はない、と報告した。ところが大統領はその報告を無視して、A国に制裁した」

「だけどこの事そのものは表に出ることはないので、通常ならだれも知らないで済んでいる事だったが、女スパイが家で愚痴っているのを小学生の娘が聞いていた。それをたまたま隣に座ったジャーナリストに「うちのママスパイでぐちってた」と「いっちゃだめだよ」とはいいつつも言ってしまった」

ここでポイントなのは、「大統領の行動はどうだったのか?」という部分で、「誰がCIAだったか」という事は実はゴシップに近い情報じゃないのかな、と。

お話しとして面白いのは、この大統領が無視した、というエピソードがあるから、CIAの女スパイが「大統領への腹いせに自作自演したんじゃないのか?」と疑られるのですが、国の為に働いた挙句、本当に踏んだり蹴ったりなんですよ、この女スパイ。

むしろこの女スパイを主人公に描いたほうが、良かったような気がしますね。素直に感情移入できそう。

そしてこの女スパイも甘くはあったんですけどね。

家であっても、気を抜いてはいけなかった。

話しが飛んでしまいますけど、CIAって先日の「リクルート(過去記事)」じゃないですけど、本当に何の為になるのか、と思いますよね。

良い事をしても決して表で表彰される事はない。
悪い事をすれば罰せられる。
誰にも本当の事が言えない。
誰が味方かもわからない。

映画やドラマの中での話であっても、頭痛くなりますよ。

さらに本作を見て、人として当たり前な人生も下手すれば足枷になるんだなーと思うと、実際の人達はどうしているんだろう、と少し心配になりました。


考えようによっては、後味がけっこう悪いですし、ずーっと女刑務所、裁判のシーンの繰り返しで、暗い映画です。

でも、あえて選んで見る事はないだろうからこそ、TVでこういう作品を見る機会があるというのは、面白いですね。

マット・ディロンのしつこいCIA役ははまっていました。

2 件のコメント:

  1. 吹き替えは好きではなかったのですね

    返信削除
  2. コメントありがとうございました。

    そうですね~。
    ケイト・ベッキンセイル演ずる女性は、同性には嫌われるタイプに思えましたし、それを吹き替えは上手く表現していると思いました。

    あくまで主観ですので、気に障りましたらどうぞ聞き流していただけると幸いです。

    返信削除

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...